カテゴリ:ココロと気持ち( 7 )

33年

33年あると、どんなことができるだろうか。
もし、なにか、一途に気持ちを定めて
毎日誠実に仕事をしていれば、
通常の仕事ならベテラン、スポーツ選手なら選手から指導者に、
落語や歌舞伎の世界でも、花形と言える人になっている頃だろう。

私はその33年を、この道ひとすじに、としてやりつづけたものはなく、
一番長いものでも、毎日自分の食べるご飯を作ってきたことぐらいで、
一般的な評価に値するいわゆる仕事という仕事は
どれをとっても中途半端で、私はこれができますと、
胸を張って言えるものはない。

ただ、自分の中だけで言えば、
たいしたものだなあ、と思うことはひとつあって
それは、17才のときにはじめて会った友達を、
ずっと大事に思っていることである。
しかも、これからもずっと大事に思えるという確信のようなものがある。

グルタミン酸の粉末やコーラの味の様に
ごくごく狭い範囲でのホメオスタシスを保ちながら
いつまでもいつまでもそこにある気持ちを
最近ではありがたく感じるようになった。
[PR]
by mironobonus | 2006-04-23 21:15 | ココロと気持ち

雨の日のお豆腐屋

10年近く前のこと
雨の日にお豆腐を買いに行った。
豆腐屋の主人はいつもぶっきらぼうで
一丁ください、と言うと
「きぬ?」「もめん?」と聞くだけで
もめんです、と言うと、
「きぬじゃないのね」とぼそっと言うだけで
ありがとうも、こんにちわもない人だった。

油揚げがおいしいので
お豆腐はそのお店でしか買わなくなって
何年か経ったその雨の日に
お豆腐を買いにいった。

いつもの手順が終わり
帰ろうとするとご主人が言った。
「今日の天気は、ソ連の首相」
唖然としていると続けて
「イッツ、レーニン」
外は雨。
そのときは、たぶん、
ゴルバチョフだったと思うけど。
[PR]
by mironobonus | 2006-02-11 16:48 | ココロと気持ち

コンクリとドングリ

ずっと、下を向いて歩いていたら急に
視界にドングリが入ってきた
暗渠(あんきょ)のコンクリのフタの上に
ドングリがいっぱい落ちている

土だと思って落ちたのにc0065761_9182881.jpg
コンクリでは芽がでない
踏まれてつぶれるか
私の後から歩いてくる
接骨院の帰りの子供連れに
ひろわれてしまう

むなしいじゃない、と
思ったら次に
垂直に立つ塀と
暗渠のコンクリのフタの間から
クヌギが芽を出しているのを見つけた

ああc0065761_9184696.jpg
そういう手もあったんだね
コンクリの接合部に
クヌギの芽
[PR]
by mironobonus | 2005-11-16 19:22 | ココロと気持ち

中央線フリーウェイ〜西荻散歩

東京の中心部をまっすぐ右から左へ走る
オレンジと黄色の電車。
新宿から左へ、中野を過ぎ
各駅停車の区間になると
快速も各駅停車も
中央線フリーウェイに入る。
車内には自由の風が吹き始め、
もう、ギターを持って乗っても目立たない。

東中野から中野を経て高円寺。
ここまでくると東西に分かれていた頃のドイツを
東から西へ逃げのびたような安堵感がやってくる。
古本屋の上の高架を電車は走り、阿佐ヶ谷へ着く。
すっかり、ココロはゆったりして
緊張感は自分の家の
居間と寝室を行き来するレベルより低下し、
そのうち座席は寝室になってしまう。
阿佐ヶ谷から、荻窪、西荻窪。
このおいしい2つの駅を寝過ごして、
吉祥寺で降り、西荻窪に戻る。

「西荻(にしおぎ)」に続く言葉は、「戻る」しかない。
駅はずっとハデになり、街はほんのり寂しくなった。
以前の住居の番地には、もう別の建物が建って
それがまた古びて、改修が終わったばかり。

善福寺川から少し駅寄り
魚屋さんに行き、塩鮭を買いながら、話をきく。
 若かった頃、西荻窪の北側の街を
 支えていた住民たちは
 子供が大きくなるに従って
 転居をし、ここ3、4年の間に
 街の雰囲気が変わってしまった
のだと言う。
話好きで話し慣れた魚屋さんは
さすがに西荻の住民である。

コロッケとお総菜のN畜産や
手作りソーセージの店を確かめながら
ライブハウスアケタの店を確認。
駅に戻りつつ、駅前の食料品店喜久屋に寄る。
もう一度西荻窪に住みたいけれど
もう戻れないかもしれない。
チューリップポークやペンギンソースが
なにげなく並ぶ喜久屋で、
ついでにメロン味のゼライスを買いながら
ちょっと寂しさの味見をする。

チキンガランティン、骨つきハムの骨2本、塩鮭二切れ。
サラミとハムとモルタデラソーセージのお買い得パック。
生ラム1パック、チューリップポーク、
ペンギンソース、メロンのゼライス。
アケタの店のとなりで買った固豆腐。
もう荷物はいっぱいだ。

でも、まだまだ、西荻散歩は終わらない。
西荻には、どうしても行かなくてはならない場所がある。

続きは次回に。
「K屋のひみつ」。COMMING SOON!
[PR]
by mironobonus | 2005-07-07 21:52 | ココロと気持ち

色物の素敵 林家正楽

上野の鈴本演芸場へ行った。
お目当ては紙切りの林家正楽。
この正楽は三代目である。

出番になると
目つきの悪い痩せた男が
不機嫌そうに鋏(ハサミ)を持って現れた。

私がはじめて林家正楽を見たのは
30年も前のこと。
「寄席へいこか」と父に誘われ
はじめて鈴本へ行った。
その時見たのは、二代目林家正楽。
落語をやったものの訛りがとれずに
紙切りに転向したという二代目は
ふっくらとして柔和であった。

寄席の出し物のうち
落語の合間にはさんである
奇術や曲芸、三味線漫談などを
「色物」というのだということも
そのとき鈴本で教わった。
紙切りの芸も色物の一つである。

舞台の三代目正楽が「お題を」と言うと、
客席のあちこちから、
「舞妓さん!」「白雪姫と七人のこびと!」と
声が飛んでくる。
紙切りは、紙が切れればいいだけではなく、
「リストラ」という題を出されたときに
「りす」と「虎」とを切りだせる切れ味が必要で、
お客には、演者が切れ味を
最大限に発揮できるような要求
をするセンスが問われる。

目つきの悪い男は、顔をしかめたまま
お囃子に乗って鋏と身体とを動かし
聞き取りにくい声でとつとつと話をする。
「とりあえずお題を、と言いましたら、
『とりあえず、ビール』と言われまして。。。」

笑いが静まりお囃子が切れると
紙は「弁慶」に変わっている。
三代目のしかめっつらは
しばし、はにかんだ笑顔に変わる。

それからしばらく
しかめっつらと笑顔とを何度か繰り返し
男は最後に精巧な「ドラえもん」を切って
舞台を降りる。

あともう少し居てほしかった。
ちょっとかがんで去っていく
後ろ姿が色物の素敵。


三代目林家正楽
[PR]
by mironobonus | 2005-05-14 10:50 | ココロと気持ち

ゲシュタルト療法

ちょっと前のこと、ゲシュタルト療法を体験した。

ゲシュタルト療法というのは
フレデリック・S・パールズによって始められた
心理療法のひとつである。
三つの離れた点を見て「三角」と受け止めるように、
人間はものごとをバラバラに知覚するのではなく
意味のあるものとして統合して認識する傾向がある、という。
また、「ココロ」と「カラダ」に二分されていた
精神活動と身体活動を統合し、
たがいに密接にリンクしあうという考え方をとる。

実際のゲシュタルト療法では、
ささいなしぐさ、姿勢、表情を敏感にとらえ、
これら「身体の言葉」を聞き取り
脳が何を表現したいかを自ら気付いていくことで
心の平安を得ようとする。

実際、ゲジュタルト療法を体験してみると、
「あ、そうか!」と自ら気付いたその瞬間に
さざなみが伝わってまた静かな水面に戻るように
一瞬にしてこころの平安が訪れる。

一瞬で伝わるさざなみのようなもの、
それはたぶん、脳内の電気的活動であろう。
精神活動、すなわち脳の活動は、
かなりの部分、電気的な活動によって成り立っている。
脳を構成する神経細胞を例にあげても
神経細胞同士の連結部シナプスでは
化学物質により刺激が伝達され
細胞内では、電気的活動によって刺激が伝達される。

多くのデータがつぎつぎと入力される脳では
絶えず電位が変動し
場合によっては偏位し、不均衡を招くだろう。
その脳内電位の不均衡が
ココロの状態としてあらわれないわけはない。

夢が脳の活動を寝ながら調整するもの
と考えられるように、
脳の持つ
「ものごとを統合し意味のあるものとして認識する傾向」は、
脳にあらかじめ備えられた
電位調整のための修復ツールではないかとも考えられる。
ゲシュタルト療法はその修復ツールを起動させるための
ダブルクリックかもしれない。
[PR]
by mironobonus | 2005-05-05 10:31 | ココロと気持ち

いただきます

知人の某氏は、食事の前に「いただきます」を必ず言われる。
ホテルのダイニングでもあんみつやさんでも、
ちゃんと手を合わせて真摯に「いただきます」とおっしゃる。
言葉の前にお箸を持ってしまったときには、
「あ、いけない」という風に、少しあわてて、
お箸を持ったまま指の先だけ合わせるようにして、
それからがつがつと、食事をされる。

だいぶ前、その姿をはじめて見たとき、
人柄というのは、こういうところに出るのだなあと感じ入り、
悪ぶった姿勢やうがった考えの染みこんでいる自分を恥じるとともに、
なにかとても美しい世界に、再会したような懐かしい気分になった。

その後も食事に同席させていただくときは、
「いただきます」のその瞬間をじっと見てしまうので、
私自身の「いただきます」はいつも
じゃんけんでいうあと出しになってしまう。

「いただきます」の某氏とは、
なかなかお目にかかることができないが、
その方の「いただきます」は、私にとって、
その後の食事を必ずおいしくしてくれる
秘密の食前酒になっている。
[PR]
by mironobonus | 2005-03-03 08:16 | ココロと気持ち